円谷ウルトラファンサイト・原作者鈴木和幸氏プロフィールご紹介

原作者鈴木和幸氏プロフィールご紹介

鈴木和幸氏 現株式会社東急ドライクリーニング平成9年社長に就任 円谷英二氏と同郷

著「特撮の神様円谷英二」 著「翔びつづける紙飛行機」 著「ものがたり円谷英二」

鈴木和幸氏より円谷英二との作品の出会いにふれて

この作品が上映されたのは昭和39年、映画界が斜陽を迎えた頃である。

20世紀、世界の文明国において、国民の最大の娯楽として君臨した映画産業は、 生活の多様化、そして何よりもテレビの登場により、急激に観客動員数にも陰りが見えてきた。

人々は映画館に行かなくても、自宅に居ながらにして映像を楽しむことが出来るようになった。 こういった時代を迎えると、各映画会社は経営安定のため予算を絞り、人気シリーズに頼るようになった。

東宝のドル箱であった英二の特撮映画も同様で、それまでは年に2本程度の製作本数であったものが、 予算を削られた上で、4、5本こなさなければならなかったのである。

昭和37年には英二が「特技監督」としてクレジットされているものは2作 (妖星ゴラス、キングコング対ゴジラ)だが、 翌年には5作(太平洋の翼、青島要塞爆撃命令、マタンゴ、大盗賊、海底軍艦)となり、 この「モスラ対ゴジラ」の昭和39年には4作 (大竜巻、モスラ体ゴジラ、宇宙大怪獣ドゴラ、三大怪獣・地球最大の決戦)である。

これは、近年の怪獣映画が1年に1本のペースで作られていることを考えれば驚異的なペースである。 まさに厳しい量産体制の状況下で本作も製作されたと言える。 ましてや当時、英二は株式会社円谷特技プロダクション設立の時期で忙しかった頃である。 ただごとではなかったと思われる。

しかし、たとえ製作時間や予算が少なくても、英二は作品の質を落とすことはなかった。

こういう時期であっても、1本1本がそれまでと同じ水準を保ち、それぞれが充実した作品であったのである。 ここが英二のプロたるゆえんであり、誰の追従も許さない英二の技なのである。

本作は、怪獣対決ものとしては「ゴジラの逆襲」、 「キングコング対ゴジラ」に続き、英二の扱ったものとしては三作目に当たる。

東宝の人気怪獣どうしの闘いだが、前二作が地面を歩く獣どうしの闘いだったのに対し、 モスラは空を飛び、ぬいぐるみプロレスというものではなく、陸に空に縦横無尽な展開が繰り広げられる。

ゴジラはこの頃から材質が変わり、より動物としての表現力が増した上、 一方のモスラは昭和37年「モスラ」でデビューしたときよりもはるかに生物的な感覚が増し、 架空の生き物がこんなにも表現できるものかと驚かされてしまう。

両者の迫力ある闘いは勿論、冒頭の台風の場面や名古屋へのゴジラ出現など、 見所が多くていつまでも飽きさせない作品である。

 また、本作は筆者にとっても重要な意味を持つ一本であった。  怪獣映画のファンというのは、誰でもだんだん好きになっていくというより、 ある時に見た作品によって突然衝撃を感じ、それから憑き物に憑かれたようにマニアになっていく場合が多い。

強烈なインパクトは当然特撮で描かれた怪物である。 筆者は、まさにこの「モスラ対ゴジラ」によって特撮の世界に入っていたのであった。

4歳の時に叔母に連れられ、夕暮れの散歩の中で、映画館の前を通り、それは私の前に忽然と現れたのである。

 次週上映のスチール写真。今まで、見たこともない生き物の写真があった。 猛烈にでかいもので、怖そうなものであることはわかった。 黒々としたゴジラもすごかったが極彩色のモスラというのもすごかった。 コロネパンみたいなものを叔母にたずね、これはモスラの子供、と答えられたことを今でも覚えている。

筆者はその強烈な印象を新聞広告の裏に鉛筆で毎日毎日描いていった。 何が、こんなに自分を引きつけていくのかはわからなかった。

当時は娯楽は今よりははるかに少なかったものの、 テレビでは既に多くのアニメ番組が放送され、 何とはなしにそういうものを喜んでみていたのではあったが、この「次週予告」の看板に、すべては打ち消されてしまった。

公開当日は父に連れられて行った。楽しみに待っていた日であった。 街にはポスターがあちこちに貼られ、生まれて初めて自分の意志で見る映画への期待が募っていった。

伊福部昭作曲の、この世の終末が訪れたような恐ろしい音楽に煽られ、タイトルが画面に出る。 当時4才の私はモスラとゴジラの字は読めたが、「対」はなんだかわからなかった。

キャストの紹介中、背景は嵐の海の映像(もちろん特撮)が映し出され、 すべての紹介が終わると、夜の嵐は一層ひどくなり、岸にあった紅白幕の下がったテントやいすを吹き飛ばした。 幼児には恐ろしすぎるオープニングであった。

続いて画面は明るくなり、干拓地から水をくみ出す大型のポンプから大量の水が放出される場面となる。

ここまでの展開、おおよそが特撮なのだが、大人になるまでこれらが特撮だとはわからなかった。 そのくらい出来が良い。

巨大な卵が漁村へ流れ着くという意表を突く展開、インファント島の妖精などが現れるが、 何と言ってもこの作品のすごいところは干拓地から出現したゴジラが大都会に次第に迫ってくる場面である。

遠くからゴジラが街へ向かって徐々に、徐々に進んでくる。 ニュースがこの危機を人々に通報し、それを聞いた人々は驚きおののく…。 この作品には、他のどれよりも恐怖が現実のものとして接近してくるリアルさがある。

逃げまどう人々、次第に迫るゴジラ、倒壊する鉄塔や城…。 この迫力はすさまじいが、実はこのモブ・シーン(群衆シーン) は東宝の上役には内緒で、600人雇ったのを500人と報告して実施したそうである。

これを助監督の中野昭慶から聞いた英二は、「いっぱいいて良いじゃないか。」 と言ったというが、特撮映画はいつも、予算との勝負という側面も持っていた。

おなじみの怪獣対決も、成虫モスラとの対決、幼虫二匹との対決と変化を付けた二本立てで、楽しませてくれる。

4歳の私に声を挟む余裕などない。 まさに圧倒された一時間半はあっという間に過ぎ、映画館から父に手をつながれて出たとき、 怪獣の世界に圧倒されてクラクラする4歳児の頭の上には満点の星が輝いていた。

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